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≈ 自己紹介 ≈

昭和33年2月生まれ、安達高校卒業、妻1人、子ども2人、犬1匹います。(平成25年現在)

趣味は、ゴルフと仕事(これ冗談です。)

スキな人:豊臣秀吉、斎藤一人(銀座まるかん社長)、小林正観、西田文郎、清水克衛

► 私のHP ご訪問ありがとうございます。
私は、行政書士になる前、JA(農協)職員をしておりました。
もともと、農家の生まれであったことから、家を継ぐことを小さい頃から子守歌のように聞かされてきました。
必然的に家から近くの安定した職場として、親が選んだ職場が、JA(農協)だったのです。
最初は、自分の選んだ職場でないため、適当に仕事し、適当に遊ぶ日々を送り、その平凡な日々に愚痴をこぼすことを、常としていました。


あるとき、職場の上司が こう言いました。

「やめるなら、早いほうがいいよ。でも今すぐ辞 めることができないなら、ひかれたレールに乗って、一生懸命仕事してみるってこともあるよ。」また、こういう話もしてく れました。
「地球って生まれてから40億年以上も経ってるんだよ。君の生きている時間は、地球の時間からすると、瞬きにもならないんだよ。くよ くよしていようが、活き活きしていようが一瞬だよ。どっちの人生を選ぶかは君しだいだよ。」

この言葉で、い ままでの心のモヤモヤがサーと 引いていったことを覚えています。
それから、自分の仕事に積極的となり、すると今まで見えてなかった仕事のヒントが次々に見えてくるようになりました。
そのれを実践したり提案しているうちに、米の販売担当の係長になったのです。
それからも、米を売るためにいろいろな企画、事務処理の合理化なんかを手がけて、結構楽しい農協生活を送っていました。

しかし35歳になりかかったとき・・・
自分の仕事の考え方と、農協の職場の雰囲気に隔たりがあるこ とに気づきました。
そのとき生意気にも、自分が農協に残って組織を変えるべきか(こんなこと考える自体思い上がりだったんですけどね。)、 転職して自分の実力を試すべきか悩んだ結果、転職の道を選びました。

転職して選んだのがまったく畑違いの不動産関係の仕事でした。
この会社はノルマ有り、実績第一主義でしたから、数字が上がらないと、毎日のようにハッパをかけられます。
お給料は農協の時の倍になりましたが、正直つらいくて自分には合わない職場だとおもい3か月でやめました。
それから2~3社渡り歩きましたけれど、どうしれも農協の時代のようなに、「仕事が楽しくなる」ことはなかったのです。

► 「これは、独立して自分でやる しかない」と考えた結果、選んだのが資格業でした。
資格業は、物売りと違い、仕入がない分撤退するときのリスクが少ないと考えたからです。
そんなこんなで、行政書士を開 業したわけですが、最初は仕事なんかありません。
たまたま、同時期に農協を辞めた知人が、不動産業を開始したため、そこでアルバイトを することになったのです。
不動産の仲介、アパート紹介、賃貸契約などを手伝いました。
さらにラッキーなことに、行政書士の初めての仕事「農地転用」もここでやらせてもらいました。

農地転用がどんな仕事かわからず、役所へ聞きに行きました。
またまたラッキーなことに、そこには、農協時代に減反の仕事で共同事務をした担当者がおりました。
その方に、すべて教えてもらい無事終了することができました。
今考えてみれば「農地転用」と いう仕事が、私のメインの仕事 となったのは、自分が農家に生まれ、農協という職場に就職し、地元の役所と仕事をし、さらに不動産関係に転職 し、その関連の友人知人ができたことです。  

今では、農地転用だけではなく・・・
相続遺言、建設業許可、入札参加申請、産業廃棄物許可等含め40種類ほどの業務をやらせて頂いております。これも、何かのご縁で私と知り合い、私を使って頂いたお客様のお陰です。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。この場を借りて御礼申し上げます。